自ら是とせざる者は
 博聞(はくぶん)なり
◆林逋『省心録』

自分で自分が正しいと思い込むことのないひとには、必ず広い見識が備わるものである。

知識とは良識を育て、意思を堅固にする大本と考えたい。良識と意思とは不可分なもので、どちらかに偏るということがない。もし偏向があれば、真正な知識として結実することはあり得ない。
世の中には、自説にこだわり、これに反するものは認めないといった意固地なひとがいる。こうしたひとは、自説を変えたり、改めたりすることを最も低劣なこととして忌み嫌う傾向がはなはだ強い。
わが国の近代化に偉大な足跡を残した福沢諭吉の有名な言葉がある。
「志は時に随って変せざる可からず、説は事勢に由りて改めざる可からず。今の吾と古の吾、恰も二人の如くなるこそ世事の進歩なれ」
固定観念に縛られていてはだめだ、時節の趨勢をよく認識して改めるべきは改め、考えを柔軟にすることが肝要だ、とわかりやすく諭している。
上の文中「今吾」とは現在の自分、「古吾」とは以前の自分の意味である。古吾が今吾に変身し、より広い世界と交わりをもつ。これも人生上のひとつの大きな目標ではないだろうか。