15.8月更新 古典に学ぶ
学びて思わざれば則ち罔(くら)し。
思いて学ばざれば則ち殆(あや)うし。
読書するだけで、思索することをないがしろにしていると本当の知識は身につかない。また、考えるでけで読書をすることを怠れば、偏向が強くなり独善に陥ることになる。
先人先哲の教えを学ぶ弟子たちが、読書に頼り、思考を怠る姿を見て、孔子が弟子たちにこの言葉を与えたのである。
 知識は思考を通して、より確実堅固なものに昇華していくという事実を、冷徹に見据えた言葉だ。
 ドイツ観念論哲学の大成者イマヌエル・カントも、「知識は経験とともにはじまるが、思惟思考がなければ盲目となる」という名言を残している。
 
読書で得た知識をさらに思考で煮詰め、自分の経験や体験にそれを加えて、生きた知識に定着させることが何より重要なのである。
 経験によって確証されない中途半端な知識を振りまわすのは、時に危険である。
 また一方で、経験だけに頼り、知識(抽象化して物事を客観的に捉えること)を軽視すると、より広く大きな対象を理解することは困難になる。自分の経験や聴覚情報(耳学問)を着実に活用するためにも、考えるという行為に習熟する必要がある、と教えてくれている。
多くの本を読み、多くの人を知り、多くの人を理解することによってあなたの視野は広がり、あなたは善良で純粋な人間になり、他の人のために役立つ人間になるでしょう。
◇巴金(ばきん)『第四病室』
 見識を磨き、器量を育てるすべての要素がこの言葉の中にある。
 書物で得た知識を日常の暮らしのなかで深めれば、知性が活発に働き、視野もひとの輪も自然と広がる。