ひとはすべて、その才能や徳性がことごとくことなっているのであるから、             
  それをひとつていねいに認め、決してひとつの物差しで測ったりしてはいけない。


  何がむずかしいといって、人物を見ることほどむずかしいものはない。
  なぜむずかしいか、それは「材徳各殊なる」ことを的確に見ることができず、「一節を以て取る」ことになってしまうからだ。
  こうして、その人物の本質とこちらの目が感じ取る像とに、大きな較差ができてしまう。


                              


 
  『論語』の「衛霊公篇(えいれいこうへん)」のなかで、孔子は述べている。
  
 「衆これを悪む(にくむ)も必ず察し、衆これを好むも必ず察す」
  

 みんながあのひとはいい人だと言っても、事実そうなのかどうかを自分の目でよく確かめて見ることの大切さを説いている。
 
 そして、人物を確かめるポイントとして、「其れ恕(じょ)か。己の欲せざるところは、人に施す勿(なか)れ」−それは恕、人の心をもって自分のこころとすることである。そして、人からされたくないことは、自分も他人にしないことだ、と教え諭す。

      孔子のいう「恕」とは、まさいしく理性の働きである。

                



ついて
 二百九四巻からなる編年書。北宗の英宗の勅命をうけて、一○六五年、司馬光が編纂に着手、八四年に完成し神宗に献上した。前四○三年から九五九年まで千三百六十二年間の史実を、政治・経済・地理など各分野にわたり儒教的歴史観に基づき叙述している。
 はじめは『通史』と称したが、政治に役立ち、帝の為政上の鑑とする意味で、勅号を賜ったのが書名である。